部屋とネルシャツと私

所謂「プロジェクト」を掘り下げると見えてくるのは「人」である・・・ みたいなノリのチラシの裏です( ͡° ͜ʖ ͡°) 今、Voicyが熱い!!

デスマーチから何を得られたのか?

今宵、めっちゃ久しぶりのメンバでの飲み会があった。10年近くぶりの顔ぶれであった。そろそろこの話、解禁しても良いかな、ということでこのブログを更新してみることに。

今日飲んだ4名の共通点、それは知る人ぞ知るデスマーチプロジェクトでした。ベンダ側のPM、リーダー、アーキテクト、そしてクライアント側の主担当という顔ぶれ。デスマーチというのはベンダ側目線になるわけだが、相当過酷かつ酷い顛末でありこの世の仕打ちとは思えない最後だったわけだが、こうして再会できて笑い合える、しかも立場を超えて、ということを考えると、この話をすることがだけは止めてきたのだがそろそろ解禁しても良いかも。

 

今夜は酒が回っているため、細かい描写は別途ちゃんとやるとして、今日はダイジェスト的に書く。

 

発注側のクライアントは、日本人で知らない人はいないレベルの大企業で、その基幹システムのほぼ刷新に近いプロジェクトであった。これは5億で見積もり、1年半後その3倍かけても完成しなかったプロジェクトで、本当にデスマーチそのものであった。朝から晩までの打ち合わせ、食事もろくに取れぬまま連日連夜の徹夜・タクシー、二転三転決まらない仕様・・・このような非日常的な生活が続くわけもなく、優秀なメンバがバタバタと途中離脱。途中、3.11のようなこともあり、この世のモノとは思えないというか、もう完全に平時ではないプロジェクト。極限に追い詰められた人間同士は、相手を思いやる余裕など皆無で、自己の理屈を通すために相手を詰める詰める、おそらく私も今思えば相当ひどいことを重ねてきたのだろう。当時の自分も「誰も俺のことは分かってくれない」という気持ちになっていた気がするし、思い出すだけで辛い辛い日々であった。しかも、ベンダとして請負契約の完成責任を果たせなかったというか、結局受注金額を頂くことができない!というビジネスとしてあってはいけない結末に。。。

 

これだけ沢山の人が一生懸命仕事したのに、頑張った人が体調崩したりメンタルをやったりして戦線離脱、しかも、その結果は1円にもならなかったという信じられない現実。しかも両者の上の人は結果として会社を去ることになったし、自分自身も懲戒的な扱いにもなったし、良いことなんて一つもなかった。この時の経験は、何のために働いているのか?を私自身に突き付けた。プロジェクトを完遂しようといていた自分が間違っていたとしか思えなかった。。。

 

 

 

 

 

一つ言えることは、デスマーチプロジェクトを起こして良いことは一つもない、ということ。こんな思いはもう二度としたくないし、メンバにもお客さんにもさせてはいけないし、プロジェクトをマネジメントする側として、何があってもデスマーチ化させては絶対にダメだ、ということが心に刻まれた、そんな辛く忘れらない話、もう10年近くも前と言いながら、文字にしようとタイプする手が震えてしまう・・・

 

ちなみに私自身の話をすると、二度とこのような悲しいプロジェクトは起こすまいと、異動してこの組織を変えようとした。この辛い経験を組織に還元したかった。その後転職も繰り返した今も、この時の教訓は忘れられない。途中離脱したリーダーが「本当にすいません」と頭を下げてきて、何も返す言葉が出なかったあの瞬間が、いまだに夢に出る。そんなつもりはなかったと言いたいが、ビジネスの結果を見れば言えるわけがない。本当に沢山の方に酷いことをしたのだと思う。

 

 

 

結局、あのデスマーチから何を得ることができたのか?

 

 

言葉にすると問題になるかもしれないが、勢いで言わせていただければ、その時のメンバと今夜こうして、立場を超えて酒を酌み交わすことができたこと、これが財産なのかもしれない。

 

 

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